緩和ケア診療所いっぽ 医師 萬田 緑平 先生
司会
はい、皆様、開始の時刻になりましたので只今から第二部に入ります。「最期まで目一杯生きる」というテーマで萬田緑平先生にご講演いただきます。
萬田先生は本日群馬県からはるばるこの滋賀へお越しいただきました。本当にありがとうございます。チラシにも先生のプロフィールを載せさせていただいておりますが、8年前までは群馬大学附属病院の外科医師でいらっしゃって、現在は群馬で緩和ケア診療所「いっぽ」のお医者様でいらっしゃいます。それでは萬田先生、よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
これはお母さんの亡くなる前日の写真です。お母さんが「家で暮らしたい。」子ども達、旦那が、「いいよ。」ただそれだけのシンプルな家族。病院で一分一秒でも頑張ることに時間を費やしたんじゃなく、家で、美容師の一家だったんで、お母さんをきれいにする、きれいでいてもらうことに時間を費やした家族の写真です。
これは、じいちゃんのお別れ会。この数日、1週間くらい前に状態が低下してきて、本人が「先生、もうそろそろですか?」って俺に聞いてきたんで、「そろそろですね。」帰しました。「今までありがとうございました。楽しかったです。」って言ってくれて、もうその場で自分のお祝いの席を前倒しにして集合を掛けるように娘に伝え、すぐみんなが呼ばれて、その週末お別れ会が行われ、この後いっぱい写真を撮って宴会をして、宴会にも出席をして、この二日後に亡くなりました。
今日の話は、医学の教科書的な話、勉強にするような話じゃないです。どうしてかって言うと、全て私萬田が勝手に考えたことだからです。勉強したことでも、教科書に書いてあることでも、何でもないです。医学の常識じゃないから、信じないようにして下さい。だからメモを取るような話でもないからメモを取れなく暗くしてあります。くれぐれも、萬田があんなこと言ってたなんて外で口外しないようにしてください。内緒の会です。
今日は「いっぽ」の患者さん十数人連れて来ました。パソコンにいつも30人くらい入ってます。いや、もっと入ってるかな。「出番だよ」って。僕は高崎、群馬県の高崎、東京から1時間くらいのところ、新幹線で、に居ます。がん患者さん専門の訪問診療をしています。医者が3人、小笠原院長以下、萬田を含め医者が3人、看護師が8人、研修医が毎月一人来てくれています。それがちょっと自慢なんですけども。がん患者さん専門の訪問診療しています。全部受けてたらちょっと断らなきゃならんくなるんで、がん患者さんだけにしとくと断らずにほぼ全員引き受けられるんで。月に20人亡くなります。年に200人以上亡くなります。
でも僕ら仲間には「看取りの仕事大変だねー」って看取り屋のように思われてます。それはそうです。最終的にはお付き合いの最後の形は看取るって形で終わってますけど、僕、自分達では「看取り屋」だとは思ってないです。最期まで目一杯生き抜く「生き抜き屋」だと思ってます。今日は「緩和ケア」の話、僕らは、「緩和ケア」ではないです。「緩和ケア」も使って、とにかくその人が、「家で生きたい」って言う人が、病院に行きたい人は病院に行けばいい。施設に行きたい人は施設に行けばいい。家に居たい人は家に居ればいい。本人の好きなように生きる。その中で「家でいきたい!」という人を手伝うのが僕らの仕事です。
亡くなるってのは本当はね、そんなに辛くないです。シンプルなんです。だんだん元気が無くなってきて、だんだん食事の量が減ってきて、だんだんトイレにしか行けなくなってきて、だんだん水しか飲まなくなってきて、寝てる時間が長くなって、トイレもぎりぎりになってきて、大体その頃水しか飲めなくなってきて、ほとんど寝てるだけになって、で、いつか寝てるだけで目が覚めなくなります。そうすると、そっから半日か、長くても数日です。だんだん呼吸が弱くなってって、呼吸が止まった時に心臓も止まります。本当はただそれだけなんです。
病院では、そんなの無いです。だから、ほとんどの医者、医療者、看護師なら全部知ってる。いや、知らないです。本当は、たいていは、人はそうやって亡くなっていくんですけれど、そう穏やかに亡くなっていくのがみんな嫌なんです。家族が嫌なんです。だから頑張るんです。薬1錠飲むんです。病院に行くんです。手術もするんです。抗がん剤もするんです。すればするだけそれは辛くなります。じゃあどうしたらいい?いやぁ、好きにすればいいんじゃないですか?頑張りたいだけ頑張って、頑張りたくなければ最初から頑張らなきゃいいし、頑張りたいんだったら最後の最後まで頑張ればいいし、僕は、好きにすればいいと思ってます。
どうしてか。僕は自分でそうしたいからです。俺は人にとやかく言われたくないです。酒やめなさい、タバコやめなさい、健康にいいことしなさい、あれしなさい、これしなさい、あれダメ、これダメって言われたくないです。僕は自分で考えて、自分の知識の中で自分で判断して自分の好きなように生きたいです。だから自分の目の前に来る人にもそうしてあげたいです。僕らのできることを利用して、「家で生きたい。」と言う患者さんの手伝いをします。いえ、「家で生きたい」「いいよ!」って言ってあげるのは実は家族です。だから僕ら家族の手伝いをする。そんな感じかな。そうすると、亡くなるってそんなに辛いものじゃないんですよね、
実は、人生の最終章、どんな最終章も最後は絶対おいしいところ、いいところです。ハッピーエンドって言葉がありますよね。僕、ハッピーエンドって人生の最終章に使うものだと思います。いっぱいハッピーエンドを見てます。ドラマや映画や漫画の最終章、ハッピーエンドがつまらないです。そのくらい面白いです。みんなシナリオ、生きるシナリオ、自分で書いてきてます。良かったか悪かったかはその人の人生です。でも最後の一番面白いところが実は家族に取り上げられちゃうんですよね。お父さんは判断力はないから。「先生、できるだけこれで長いシナリオでお願いします。」「解りました。」人の書いたシナリオで、人生一番おいしいところ楽しく幸せに終えられるわけないです。がんが怖いんじゃないんです。死が怖いんじゃないんです。
僕は自由に生きられないところが辛いんだと思ってます。特に一番解ってもらいたい家族に解ってもらえないところが辛いんだと思います。俺は認知症になったってイエスかノーか言えるんだったら、それに従てほしいです。嫌なことはしてほしくないです。だからなるべくいい医療、じゃなくて、なるべく本人の嫌なこと、いや、嫌なことはは絶対しないです。そういうすっごく極端な、だから緩和ケア、今日の話は「緩和ケア」ではないです。最期まで目一杯本人の好きなようにするのを医療面から手伝う。生活面から手伝うのは家族。医療面から手伝うのが僕ら。その中で緩和ケアも使います。
お父さんは透析患者さん。透析患者さんって腎臓が機能しません。機能しないとどうなってしまうかと言うと数日で亡くなっちゃいます。それじゃ困る。週に3回透析に通います。透析―血液を外に出して機械にかけてろ過します。きれいにします。それでまた体に戻します。それやらないと数日から1週間くらいで死んじゃうんです。透析してればず~っと生きられるわけじゃないです。腎臓は大丈夫だけど他のところがいつかはダメになってきます。通院できないって時がいつか必ず来ます。そしたら入院して透析します。
じゃぁ、入院して透析してればず~っと生きてられるか?いつかは人は亡くなっちゃうんです。だから、透析患者さんって、「家に居たい~!!」って言っても家に居られません。
どうしてか?家族と医者がダメだって言うから。
大変なことになります。家族は「大丈夫ですか?」いや、大丈夫じゃないです。
お父さん、入院になりました。
お父さん、家に帰りたいって言うけどダメです。
もちろん家族と医者がダメだって言うから。だんだんだんだんお父さん本人怒ってきます。
「なんで、俺が俺が建てた俺の家に帰っちゃいけねえんだ!」
「なんで俺が帰っちゃいけない、俺んちだぞ!」
だんだん娘が気がつきました。お父さんこれじゃかわいそう。病院に行ったらいつまでも生きられる訳じゃ無い。奥さんは嫌です。帰ったら死んじゃうのは解ってるから。でも入院しててお見舞いに行っても手の届く範囲に行くと殴られちゃいます。行っても会話になりません。
そりゃそうですよね。家に帰してもらえないんですもの、本人。敵ですもの。トラウマになっちゃいます。でも嫌です。死んでほしくない。でも娘が気がついて家に帰すことにしました。僕らが介入しました。家に帰ってきました。僕ら奥さんにとっては敵でした。
「何かちょっとでもおかしかったら病院に連れて帰りますからね。」ってキーって睨まれて。
そして6日後に亡くなりました。病院には行きませんでした。亡くなった直後、僕ら看取りって、心電図作って、ピッピッピッてやって、ご臨終ですってやりません。それじゃケアが甘いって言うことです。ちゃんと亡くなるってことは息を引き取る。僕らの看取りは、ほぼ、ほとんど90何パーセント、あ、僕らのところへ来た患者さんは入院することはほとんどないです。数パーセント、予定だった人が入院するけれど、家に居たいって言ってた人が入院することは、ほとんどないです。100人中数人です。
そして、亡くなった時、「息を引き取りました。」って連絡があって、そしたら僕らが行きます。1時間くらいしてから行くんですかね。そして、「今までどうだった?」この1日、1週間、1か月、3年の人も、5年の人もいます。「どうだった?」って話をして「お世話になりました。良かったです。十分してあげられました。」そんな話をして、死亡診断書を書いて置いて渡してきます。
それらが僕らの看取りです。その時の様子です。
(ビデオ)
「どうでした?この6日間?」
「お風呂に入れたらすごい笑顔で」
「うん」
「歌を歌ったんだよね、おじいさん。」
「どんな歌を歌ったの?」
「いい湯だな、をね、おじいさん歌ったんだよね。初めて歌ったんだよね」
「全員集合の?」
「全員集合の、そうそう」
「いい湯だな」
「そうそうそう、それ歌って。」
「普段歌わないのに?」
「普段は、全然全然歌ったことないですよ。」
「お風呂入れる人が歌いだして、ついて歌ったんだよね。」
「そうそうそうそう。」
「あぁ、本当。」
「もうその時はもうね、感動のあまりお風呂にいた人ね、もう全員が泣いちゃったの。」
「泣いちゃったの。」
「もう私も、もう、泣くまい泣くまいと押さえてたんだけど、もう全員が、お風呂に入れるスタッフの人と子供もそうだけど、本当にうれしくてうれしくてね、声が出て泣いてた。もう、本当にこんな姿見たことない、本当に正気の時も歌は歌わない人だったから、ねぇ」
「幸せだったんだ。」
「お父さん、幸せだったんだよね、おじいさん、ねぇ。」
「笑顔が出て」
「うん、笑顔が出て。」
「こんな笑顔が出たの、初めて!」
「それでそのあと、毎日入れたんだ。」
「そうです、毎日お風呂入れました。」
「もう待ってたんだもんね、お父さん。」
「毎日かあ」
「朝になると、お風呂は」
「朝から、お風呂って言ってたの?」
「お風呂は…」
「そりゃ~、入れて良かった。」
「ん~。」
「そこだったんだ。」
「そう、そう思う。」
「うん、お風呂がね、毎日、普通の時でも5時間入ってた人だから、ハハハ。だからお風呂が好きだったんですよ。それを、病院ではできないことを、本当にお風呂入れてもらったんで。で、みんな、こういう風にできたってことは満足だと思うよ、本当に。幸せな顔してたもんね、本当に。」
「ハハハ」
「こっち向けって言ったら、ありがと!それで、向こう向けって言ったら、お風呂入る時、「ありがとう、すまないねぇ。ってね、おじいちゃん、言ってたんだよね。」
「本当、それを見ると家族が本当に、お風呂入れた人も本当に、大泣きでしたよ、本当に。」
「ハハハ」
「で、もううれしくって嬉しくってね、そしたら、おじいさんまで泣いてたんだから。」
「そうなんだ、本人も泣いていたんだ」
「うん、本人もね、「すまないね」って、ここんところに来てね、吹いてもらった時、「すまないね」って泣いてた。」
「本当。」
「本当に、それだけはもう頭の中、離れない、今は。」
「みんなで泣いてたんだ。」
「そう。素晴らしかった。」
「クウちゃん(犬)も泣いた?」
「ワン」(笑)
「本当に良かったですよ。私もトラウマにならなくてよかったです。本当に。入院してるときはトラウマになったから。もう、本当に。これが、つながりができてね、こんなにいい結果になったんで、もう本人も大満足だと思いますよ。」
あれだけ嫌がってた奥さんが、「こんないい結果になった。」
そう、死なない、って言うのを目標と、がんを治す、まぁ、治れば治ったでいいことですよ。治るに越したことはない。
でも「死なない」ってことを目的としていると、絶対人生失敗で終わります。多分、ほとんど日本人は死なないことを目標としてるから、亡くなった時は失敗で終わります。
「残念でした。」
僕らは、絶対失敗で終わりたくない。成功で終わらせてあげたい。じゃあ、どうしたらいいか?
いい治療、いや、いくらいい治療したって絶対亡くなっちゃいます。失敗で終わるわけにはいかないです。
僕らは本人にシナリオを書いてもらいます。そうすると、本人、つらいシナリオ書かないんですよね。どっかでなんか決めてくれるんですよね。そう、そうすると、成功でこうやって終わるんです、人生。
僕は、外科医をやってた時、医者だった頃は、今でも医者ですけど、治して喜ばれると思ってたけど、今、治せないです。でも今度治せなくても喜ばれることに挑戦して、できるんだ、すっげぇ、楽しいです。それを目指してます。そうすると、外科医だった時は、手術しても、手術した人とその一番大事な家族一人ぐらいに、「ありがとうございました。」って喜んでもらえるけど、今、亡くなると、家族中に、「ありがとうございました。」と喜んでもらえるんです。だから、楽しいです。
もう一つ、僕の伝えたいこと。
医療に頼ればうまくいくわけじゃない。
実は、体の不思議がこれだけあったとしたら、医学で解ってることって、ほんのこれだけなんですよね。車って人が作った物です。だから、解ってる人は全部作って組み立てて故障も修理も全部できます。
で、ダメになる時は、ダメですね。何だってできます。人が作った物です。知ってます。
人間の体は実は、ほとんど解ってるようなことをみんな言ってるけど、実は解ってないです。多分これだけしか解ってない。医学で解ってることがこれだけだとしたら、一人の医者が知ってることはこれだけ。偉そうに話してるけれど、ほんのちょっとしか知らないです。
でも皆さんよりは、ごめんなさい、俺が知ってる医学の知識がこれだけだとしたら、皆さんの知ってるのはこれだけ。まぁ、半分くらいでも間違ってると思います。みんなこの知識で、人の体に何とか望もうとして健康に長生きを。僕は無理だと思ってます。微力だと思ってます。
じゃあ医者に頼めば。そりゃあ医者に頼んだら皆さんよりは知ってるけど医者に頼んだら全部知ってるわけじゃないです。みんな、医者は何でも知ってると思ってるんですね。余命から、何から何まで。
神様じゃないから。人間作れませんから。じゃあどうしたらいいのか。
いやぁ、ちゃんと医者を利用して、なんかするんだったら、医者の方が何千倍も知ってるんだから医者を利用した方がいいと思います。
ただ人生まで任せない方がいいと思います。医者は医療を知ってるけど人格者試験も何にもないです。全部、医者にがんのことも全部教えてもらっていろんな治療法を全部教えてもらって、そんな医者、すごい人格者でも何でもないです。
専門だから、自分外科医だったら外科のことしか知りません。いや、他のことも知ってます。皆さんよりは知ってるけど、例えば、「放射線科のことも教えてください。」って、放射線科のことも話せますけど放射線科の専門医から比べたら知識はやっぱり何十分の、何百分の1しかないんです。
外科の先生に「痛みを取って下さい。」って、「痛み取れますから、ちゃんと医療用麻薬を使って。」って言ってるけど、僕らの医療用麻薬のプロから比べたら、経験はやっぱり百分の1くらいです。どうやって皆さんが賢く、人生を全部全てを任せるんじゃなくて医者を利用してよりよく生きるかじゃないかなと思ってます。
そう、人生の終末期になればなるほど、年を取れば取るほど医療にかかってもそんなに効果はなくって、逆につらいことが多くなってくるんです。
じゃあどうしたらいい?好きなようにすればいいんじゃないですか?
全然知らないから全然知らないのもその人の人生、いっぱい勉強するのもその人の人生。僕は地震、津波に、震災にみんな備えてる、ほんの1%かそれ以下の可能性に。じゃあやった方がいいですよね。
でも100%来る死に備えてないです。50%来るがんに備えてないです。そりゃあ知らないんだから苦しい思いをするのは当然です。調べよう調べようとしてる人はそんなに辛くないです。こういうところに来てる人たちは、調べようとして来てる人たちですよね。だからそんなに辛くないんだと思います。知ってるから。
がん患者さんの旦那さんと奥さん。若いですね。子どもはいません。絶食です。食べちゃいけないと言われてます。
「でも俺は食いてえんだ!家に帰る!」
「いや、そんな。大変なことになりますから駄目です。」
医者は言います。普通は、普通はってもう99.9%妻も、
「先生が言ってるんだから我慢してここは頑張って。良くなったら帰ろうね。」
そう言われながら人は病院で死んでいきます。でも、俺さえ我慢すればいいんだって人がほとんどです。中には、「我慢しない!」って人がいます。それでいいじゃないですか。どうでもいいです。人を支える。家族を支える。みんな死にたくないんです。
「家に帰って飯食うんだ。」じゃ、死んでもいいのか?いや、死にたくないんです。
死にたくないけど、ご飯我慢してたくない、ずっと病院にいたくない。治療は嫌だ。
じゃ死にたいのか?いや、死にたくないです。亡くなるその寸前まで死にたくないです。
じゃ、どっちなんだってみんな迫られて、応援してくれるのはこっちだけです。
お父さんは死にたくないんだからできるだけのことはしてあげないと可哀そう。死にたくないです。生きたいです。
だけどいろんなことがあるんです。全部、どっちなのじゃなくて全部その人の気持ちなんです。
良く「死にたい。」って言葉を聞きます。僕らはいっぱい「いっぽ」の患者さん死んでいくのに「死の辛さどう乗り越えてんの?」よく言われます。あまり言わないです。死の辛さ。死にたいって言わないです。みんな「生きたい!」って言ってます。
どうしてか?
両方の気持ち。支えてもらってると「死にたい。」って言いません。「頑張ろう!頑張ろう!頑張ろう!」ってこっちしか支えてもらえないと「こっち辛いんだよ。こうなんだよ。」
それでも家族に解ってもらえないと、「死にてえ。」って言います。僕は、「死にたい人はいない!」って考え方です。この奥さん、もちろん死んでほしくないけど上手に支えてました。立派でした。
(ビデオ)
「頑張ってます。精一杯生きます。生きれる限りばんばんあるもん食って頑張ります。」
「頑張って支えます。はぁ~い。」
上手に支えるとどうなるか?本人の好きなように生きるとどうなるか。
たいてい本人、ぎりぎりまで普通で居たいっていう願いになります。だから僕らの患者さん、ほとんどの人、亡くなる前日かその日までしゃべってます。歩いててトイレに行ってる人も結構います。おむつにならない人も結構います。
どうしてか。それが願いなんでしょうね。で、それが出来なくなった時、そこに全部の力を費やしてそれが出来なくなった時、そっから半日ぐらい、1日ぐらいで亡くなってっちゃうんです。この方は、この翌日意識がなくなってその翌日に亡くなりました。
(ビデオ)
「最初は何?死んじゃうのが怖かったの?」
「死ぬことが、すごい恐怖感があったの。」
「怖かった」
「それ、いつごろの話?」
「入院してる時。」
「入院してる時?じゃ、1年半前ぐらい前の話じゃないですか」
「そうですね、だから、家に帰らずに治療して…」
「その時のね、ノートが今でもあるんだけど」
「恐怖心ばっかりやわね。」
「字がこんなんですよ。」
「あ、ほんと」
「書けなくて」
「あ、ほんと」
「あれ見てたらね、良くここまで…」
「怖かったよね。」
「怖かった、怖かった。」
「死に対して…」
「ここに来てからそれがだんだんそれが少なくなってきたの?」
「今、無くなっちゃったの。」
「無くなっちゃったの?」
「全然無い!」
「全然無い!」
「じゃ、もういっか?」
「ハハハ…」
「じゃ、死んじゃったらどうしようとか、そう思わなくなっちゃった、ははは、死に対して、関心が無くなった。」
「へぇ~」
「死んじゃったら怖いな、とか、いつ死んじゃうんだろうとか、いつ苦しい思いするんだろうだろう?ってのが」
「いやだったんだろうね」
「え、死ぬことがでしょ」
「それは時間がそうさせてくれたのかな?」
「そこはねい先生が…。安心感ですよ。もう本当に。」
「安心感と…」
「先生が付いてるから大丈夫だと…」
「そら、いいずぎじゃねえ?」
「いや、本当そうだよ」
「そうそう」
「お世辞でもない、何でもない。もう本当に」
「そっか。そんな恐怖があったんだ、前は。」
「怖かったですよ。」
「怖かったんだ。」
「だから夜も眠れないしねえ。二人して…」
「でも、そっから1年半経っちゃいましたよ。」
「ね、寝すぎだよね。」
「1年半ってねえ、想像もつかない。自分でも驚いてるよ。」
「俺だって想像つかない。元気になっちゃうって思わなかったよ、こんなに。」
「ありがたい話で。」
「それで、死ぬことに対して恐怖感が無いってことは、どういうことなのかな?」
「ね、どういうことなのかな?僕もわかんないっすよ。」
「もう無いの?」
「もう無い、ほんと」
僕、さっき言ったみたいに、医者は全部知ってるわけじゃない。だから余命より、言われた余命なんて、別に神様のお告げじゃないから当たんないって思ってます。その医師の経験で言ってるだけですから。
余命より短くったって可哀そうじゃないし、それが事実です。余命言われてから10年生きたって別に奇跡じゃないと思います。それが事実で、医者がそれを読み取れなかったっていうだけだと思います。
「急変」って言葉も僕は違和感があります。「急変」「急に」じゃないです。予定通りなんです。なるべくしてなるんです。ただそれを医者が見抜けなかっただけで。「急変」ってのは僕はかっこ悪いと僕は思ってます。予測できなかったってことです。
(ビデオ)
「いいこというなぁ。がんだったから、幸せだったっていうの?」
「がんだったから幸せだったと思うし、幸せにも感謝できるようになった。今日もみんなに感謝して、なんていうのかな、また明日ねって気持ちで寝られる。のは、がんだから。」
「がんじゃなかったら感じられない?」
「感じられる人もたくさんいるんだろうけど、私はできなかったかもしれない。だから、がんで良かったんじゃないのかな。がんだから良かったんじゃないかな。」
「がんで悪いことばっかりだけど、いいこともちょっと…」
「うん、たくさん…」
「たくさん?!」
「たくさん。がんだからいいこともたくさん。朝起きて、お日様が昇って、あぁ、また今日!って思えるのもがんだからからかな。」
「じいちゃん、ばあちゃんだったら言えるけど、こんな若さで言えるの?そんな事。」
「だから、それはがんだからから。がんは、悪いものじゃないかもしれない。って思う。」
「深い話だ。」
「ふふふ。」
僕ら家で過ごす患者さん、多分数パーセントだと思います。がん患者さん。もっと家で過ごしたい人は多いんだろうけど、家族が「そんな事ありえない、ダメ!」って言って、家では過ごせません。
数パーセントの家族が「いいよ。」って言ってくれて家で過ごせます。その内の、僕の手応えでは、1割ぐらいの患者さんがこういう風に言います。「がんで良かった!」「悪いもんじゃねえよな!」とか。最初はわかんなかった。だんだん解ってきた。先を見てないその日暮らしの患者さんを、人は、「なんで私ががんなの?」ってところで止まってる。いつか人は死んじゃうもんだって、がんにもなるもんだ、半分の人はなるんだって知ってて、じゃなったらどうしようって、ちゃんとそんなことを考えて生きてた人は、「あぁ、がんだといいよな。ぴんぴんころりも時間があるしなぁ。って。
で、十分やりたいようにやって人生畳んでいきます。じゃあどうしろ。どうしろもこうしろもないです。
僕はこういう人たちを見てみて、自分の生き方随分変わってきました。
僕は今、現場で仕事をしています。講演を年に50回やってます。本も3冊目、出しました。実はそれは片手間にやっていて、メインは遊んでます。自転車に年間6,000キロぐらい乗ってます。バイクにも5,000キロぐらい乗ってます。群馬県リーグで50歳台の部でサッカーシニアリーグで年間20試合くらいやってます。楽器のレッスンにも通ってます。もちろんゴルフもやってます。もうちょっとで70台が出るんだけどな。
そう、目一杯遊んで、目一杯仕事して、ああ、がんになっちゃったらそこから戦ってもちょっと辛そうだから、みんなの見てると。戦わない。いいや、なったらなったで。なってから頑張るんじゃなくて、なる前に頑張ろう、って言う。だから、検診も受ける気あんまりないです。医者なのに。
まぁ、でもいいじゃないですか。俺の好きにさせて下さい。僕はいろんな患者さんを見て、人生勉強させてもらって、結果そういう生き方になってます。いいか、悪いか、僕はいいって言えばそれでいいんです。
42才、独身。独り身だって。身寄りは無いって言ってました。「そんなわけねえだろ?」って聞いたら、遠くに疎遠で病弱なお母さんがいるって言ってました。嫌いだって言ってました。会いたくないって言ってました。
乳がんと診断されて、手術と抗がん剤治療が必要だと言われた。彼女考えた。これで手術と抗がん剤治療受けて仕事に行けなくなって仕事を辞めてバイク仲間も失って何が残るんだろう。生き残っても何も残らないじゃないか。これからどんな生活をしていくんだろう。治療だけの生活。死んじゃったらそれこそ何にも残らない。
ネットで調べたら、乳がん手術しなくても3年生きられるらしい、長い人は10年生きてるらしい。よし、私は死んでいいんだ。その与えられた命を目一杯仕事して目一杯バイク仲間、そこに恋人がいた。その生活を、今の生活を楽しむんだっていう生き方を考えた。
僕はその人が考えた生き方が正解。その人の人生の正解だと思ってる。僕が一人の人生とやかく言う、医者が言うもんじゃないって思うけど、ま、病院の医者はね、治療してあげるのが正義、だから、彼女は弱い、逃げてるだけだ。病院に行くと責められます。家族はいないから、普通は家族と医者が一体になってできるだけのことはしなさいって言うから、ほとんどの人は、手術したくない人は結構いるんだけど、まあ手術に回りますよね。全部を敵に回してまで一人で立ち回ることは、そこまで強い人はいなくはないな、結構いるんですけどね。あんまりいませんか。この人強いなぁ。自分で考えてるなぁと思いました。
僕も外科医だったから、手術・抗がん剤治療以外にね、いろんな治療教えましたけど、ま、多分この人治療しねぇなぁと思って。1年ぐらいしたら軽く来るかななあんて思ってたら、何と3か月後にがんでおっぱいが腫れ上がってて、多発肝転移でした。
さすがに俺もびっくりしました。めったに見ないしこんなに進行が早いのってあるんだ。こっちの方がビビりました。うわぁ。でも彼女、なんとなくわかってたんですね。「先生、面倒見てくれるって言ったでしょ。私どうやって生きたらいいの?これから。」とは言わなかったけど、そんな雰囲気で迫られました。
そんな彼女に僕はこのような話をしました。
(ビデオ)
「カックイイ!」
「先生、また連絡します。」
「は~い!」
いえいえ、これだけじゃないです。結果的に亡くなる1週間前に来た手紙です。この時彼女は飯は食えてません。仕事もできて、バイク仲間も、姉御、姉貴って立場だったみたいですね。かっこよかった。きっとかっこいいまま生きたかったんじゃないですか?この手紙の数日後に外来に来た時の様子です。
(ビデオ)
「入院依頼をよろしくお願いします。よろしくお願いします。」
「そんなんじゃ入院させてもらえないよ。もうちょっと辛そうに…」
「ほんとですか。ちょっとかなり辛くなってきたんで、近いうちに入院依頼の方を、よろしくお願い致します。ちょっと、口のまわりに苔が張っているのであまりしゃべれません。」
「はい。」
「以上で。」
元気そうに見えるでしょう。おなかはパンパン、足はパンパン、歩けねぇだろうってぐらいです。まあ、よっちらよっちら歩いて職場に行って来たって言ってました。黄疸があります。出てます。
しゃべってる時はこうやって勢いよくしゃべってるけど、こちらがしゃべってる時はうつらうつらしてます。意識障害が出てます。口の中に苔が張ってて水も飲めません。苔が張ってるんでしょうね。カンジタだと思います。
見ません別に検査もしません。多分カンジタだろうなと思ってます。
僕、この状態でアパートで独り暮らし、家で死ぬことに、最期まで生きることにこだわってないです。動けなくなったら入院しますって言ってたんで、緩和ケア病棟、ホスピスに面談したって、辛くなったら入院させてくださいと予約がしてありました。
もうちょっと粘るかな、でもこの状態、僕、もう1週間もたないと思いました。
「どうする?入院します?」って言ったら、「入院します。」って言ったんで、その場で緩和ケア病棟に電話かけてベッド空けてもらうように依頼しました。ちょっとまって連絡待ちってことになりました。
じゃ、ここ緩和ケア病棟の主治医は俺、同期だからビデオレター送ろうぜって撮ったのがこのビデオレターです。
そして、この二日後にベッドが空きましたって緩和ケア病棟から連絡がありました。そして、僕らから本人のところに連絡をして、そして仲間と看護師とで、緩和ケア病棟に入院させました。
まあ、自宅に最期まで面倒見ないで緩和ケア病棟で亡くなっていく患者さん、年間に4~5人いるかなぁ。じゃない、4~5%いるかなぁ。緩和ケア病棟を予定しているうちの3分の1ぐらいで、残りはそのまま家で最期まで生きている。
さ、この人入院して「ほっとした。」って言ってました。ぎりぎりだったんでしょうね。
そして夜になったらみんなバイク仲間が仕事終わって集まってきて、だんだん盛り上がって来て。
「おいおい、ここはホスピスかよ」ってほど盛り上がって怒られて、そして、また一人ずつ帰ってってまた静かになって、ようやく眠りについて、その眠りが昏睡になり、また友達がみんな呼ばれて、朝方みんなが、全員集まったところで亡くなりました。
僕、急変じゃないと思います。彼女のシナリオ通りだと思います。
バイク仲間もみんな言ってました。急にって言ってなかった。
「すっげぇなぁ。」そう「急に」ってったら可哀そうですよね。折角そういうシナリオ書いたのに。何かが起こったんじゃないんです。本人が書いたシナリオなんです。
「すっげぇなぁ!」って言ってあげるのが多分喜ぶんじゃないかな。またまたこれだけじゃないです。
今度は、『死後の指示書』ってのが出てきたんです。1か月の間に書いたんですかね。その前から書いてたんですかね。お母さんへの電話連絡、職場への電話連絡、知人での電話連絡。こういう風に話して下さいって全部書いてありました。自分のアパート、財産の処理方法、全部書いてありました。
そして友達に、形見分けも全部書いてありました。自分のバイクをみんなでどういう風にのってほしいかも全部書いてありました。永久に乗るのはダメだと解ってる、迷惑だ。バイクの処理方法まで書いてありました。「忘れないでね。」って。
そして、友達に葬式させる訳に行きません。医学部の解剖学実習の検体に申し込んでありました。
実は僕、「先生、検体無い?」って聞かれて、結構調べたんだけど、結構どこも一杯で、「悪い、俺、調べたんだけど、だめだぁ」言ったんだけど、さらにそこから探したんですね。俺が捜してわかんないのに、それよりも探せたんですね。ちゃんと見っけたって。で、ちゃんとそこに亡くなったら車で運ばれる手配までして。朝方、亡くなったと同時に運ばれていきました。ここまで、いや、さらにあります。数年後に、解剖されて骨になって帰ってきました。その骨に添える手紙まで何通りか書いてありました。そんな人もいます。