滋賀県がん患者連絡協議会

 平成28年度 がん患者力・家族力向上事業

特別講演(後半)

第II部 特別講演「最期まで目一杯生きる」(後半)

緩和ケア診療所いっぽ 医師 萬田 緑平 先生


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一方、こういう人がいっぱいいます。

余命1週間と言われて、その1週間を「できるだけお願いします!」って言われて治療してる人。
もちろん本人が「家に帰りたい」って言っても駄目です。「水が飲みたい。」って言っても危ないから、誤嚥するから駄目。「風呂に入りたい。」って、もちろんダメ。もちろん帰っちゃ駄目だ。それでも帰ろうとすると縛られます。それでも抵抗したら、眠らされます。
1週間、余命1週間をさらに伸ばすために。治療が。何がおかしいんでしょうね。
気が付いてるナースは気が付いてジレンマで辞めてっちゃいます。
気が付かないナースは、点滴引っこ抜くから、尿カテ引っこ抜くからしょうがないから縛りますって、縛ってます。
前はそんな医療がおかしいと思ってたけど、家族が頼んでるんですよね。家族が「可哀そう」って、家族が頼んでるんです。「できるだけのことをお願いします。」って。
これでだって歩いて転んだら病院の責任だって言われるし、本人が「治療したくない!」って言うから治療しなかったら、できるだけのことはしてあげられなかったって、病院が責められちゃうからしょうがない。本人は死んじゃうんだから、家族のために、家族の希望通りに医者はやんなきゃいけないんです。
僕は今はね、時間があるから、それが仕事だから、そんなことをしたら本人のためじゃないって話をいろいろんな引出を持ってて、するからそんな目には合わないで済むんですけれど、まあ病院は治療が主体のところです。そんな手間暇かけてられないからしょうがない。縛って点滴して余命を伸ばして亡くなっていくんです。

ここの家族、お父さんがそうなってるのに可哀そうだと思って、
「先生、何とかならないですか。主治医は退院しちゃいけないって言うんですけど。」
「じゃあ、会いに行きましょう。」
って会いに行きました。お父さん、意識無いって言われてたけど、やっぱり鎮静されてました、眠らされてました。だから僕らが行ったら、ものすごいアピールです。
「助けに来てくれたんかー!助けてくれー!」ってお父さんの猛アピール、聞いてあげて下さい。

(ビデオ)
「なるほどね。」
「水がっぷり飲みてぇ」
「水がっぷり飲みたい。なるほどねぇ」
「のど乾いちゃうねぇ。そうですか、はい。」
「おかしくなっちゃうよ」 
「縛られてんだから。」
「そうねぇ、おかしくなっちゃうねぇ。」
「どうもこうもない。」
「縛られて…。」
「柵つかまって、起きようと…。」
「帰りたいよう。」
「うちには帰りたい?」
「帰りたい!」
「お風呂も、入りたい?」
「帰りたい!」
「入りたい!入りたいですよ。ゆ~っくりいい風呂入りたい。」
「いい風呂入りたい。入りたいねぇ。そうねぇ。」
「温泉は?」
「うん、入りたい。」
「あとは何がしたいです?」
「いい風呂入りたい。」
「お風呂だけでいい。」
「お風呂入ろ。」
「帰りたい。」
「歩ける。」
「歩ける?大丈夫?」
「大丈夫。」
「大丈夫ですか?」
「なんせ縛られてるからね。」
「そうですね。」
「泣けてき来ちゃいました。こりゃあ俺たちだって慣れてるけど、あれ聞いたらファイトが湧きます。連れて帰りましょうよ。帰ったらすぐ亡くなっちゃうかもしれないけど、それでもいい?」
「はい。」
「話聞いたら、すぐ亡くなっちゃうかどうかよりも意識とか、何が起こるか解らないと思うけれど、逆に、今帰りたいって言ってる状態だったら今しか帰す時無いですよね。還しましょう。いつ帰す?」
「うちの方は…。準備は何もないんですけど いつでも大丈夫だと思います。」
「今日、あれだけ帰りたいって言ってるのが、明日、言えなくなっちゃうかもしれないんですよね。それ、解ってますね。OK。じゃ、帰してあげよう、なるべく。ケアマネージャーの…」

もう2週間縛られてたので足がすっげー細かったです。
絶対歩けないなって僕も思ってたけど家に帰ったら歩けてました。びっくりでした。いや、びっくりじゃないですね。それが事実です。
飯もちょっと食いました。意識障害はなかったです。孫となんかしゃべってました。家族と撮った家族写真はガッツポーズでしたね。気が付いてもらえてよかった。
2週間後ぐらいだったかな、4回目の訪問入浴の直後に亡くなりました。
余命1週間が2週間になって良かった。という問題じゃないです。余命1週間っていうのは別にそれが正解じゃないです。奇跡が起きたわけでも2倍生きたわけでもないです。2週間生きました。ただ、家族にわかっててもらった。そうするとそんなに辛くないんです。幸せそうですらあります。

ここまでの話、本人にシナリオ書いてもらって好きなように生きると、本人のシナリオ、辛いシナリオは書かないんですよね。だから、そんなに辛くないんですよって話をしました。
どうでしょう、皆さん、みんな亡くなるちょっと前の写真、動画が出て来ました。こんな元気で亡くなっちゃうの?もっと生きられるんじゃないの?って思った人、手を挙げて下さい。はい。いいじゃない、こんなに元気で亡くなっていくの、それでいいじゃない、と思った人。
ありがとうございます。両方手を挙げた人もいますよね。いいじゃないですか。そう、別に正解なんて無いんですよね。
いや、僕は、人の亡くなる姿、家族の願った姿だと思います。家族が、こんなに元気なんだからまだ治療してあげなきゃ可哀そう、まだ治療してあげなきゃ可哀そう、って人は、治療されます。可哀そうに、って思った時が許された時なんだと思うんです。
だから、「ううーんと可哀そうに」と思われなきゃ亡くなるのを認めてもらえない家族の場合はうんと可哀そうなんです。「私はもう入院するのは嫌だからね。」って言って。みんな言ってるんですけどね。言ってるけれど、「入院、それでいい?お母さん」って、本当に娘がうって頑張って、「お母さんがそう言うんだったら。」って言う人の場合は、延命治療されなくて済むんです。僕らのところには、そういう人たちが来ます。
だから本人の好きなように、本人のシナリオ通りに、そうするとそんなに辛そうじゃないです。家族が、絶対お母さんを幸せに!って思ってる人たち、本当に幸せそうなんです。そんなのねぇだろうと思ってるけど、いや、幸せそうに亡くなっていくんです。
ま、しょうがない。そんなの知ってる人はほとんどいないし、ま、病院ではね、知らないからしょうがないです。一般市民も知らないです。ただ、むかしの人は、昔はみんな家で看取ったから知ってる人もいるんですよね。
さ、ここまでの話、そういう話でした。

ちょっと話が一時的に変わります。

だんだんだんだん年を取ると目が見えなくなってきます。だんだん衰えて来ていつか、ま、120歳まで生きてられたら、目、見えてますかね?そう、どっかで見えなくなりますよね。
だんだんだんだん耳も聞こえなくなってきます。若い時は聞こえてました。どっかで聞こえなくなります。歯もだんだん抜けて来ます。固いものが噛めなく来ます。
腰も痛くなって来ます。肌も随分しわだらけです。髪の毛も抜けて来ます。病気ですか?老化ですよね。緑内障とか、白内障とか、病気にかかってる訳じゃ無くて、老化の段階に名前を付けて、「あなた、何とか病ですね。」って言ってるだけですね。「はい、じゃあ治療しましょう。」って言ったら元に戻れますか?元に戻れないですよね。
治療した方が、その老化のスピードをなんとか抑えようってのが治療ですよね。肺だってだって年を取ってきますよね。心臓だって年を取ってきますよね。大腸だって年を取る、子宮だって、おっぱいだって、全て年を取ってきます。いつかはがんになりますよ。生きてられたら。
脳だって年を取ってきます。だんだんだんだん物覚えが悪くなってきた。その段階にこうやって、「はい、あなたはここです。治しましょう。」って言ってるけど、患者さんは、「治しましょう」っていうのはタイムマシンに乗って元のところに戻るもんだと思ってます。
医者は、それよりも進行を抑える、なんとかそのままうーって行っちゃうのを、ちょっとでも進行をね、老化のスピードを抑えよう。でも限界は絶対あります。人はみんな老化していくんです。みんな知らないです。
じゃあみんな一日どうです?一日一日だんだんだんだん腰が曲がってきますか?だんだんだんだん。
違いますよね。安定してますよね。安定して、何かをきっかけに、ストーンと落ちます。これを「急に」と言います。
いや、急にじゃないです。知らないだけで、体の中では、一日一日老化してて、予定通りそこに行くんです。みんなこういう風に人生、クンクンクンって行くんです。病気のデパート、当たり前じゃないですか、調べれば調べるだけ、年を取ってくればいっぱい老化するんだから、調べれば全て病気のデパートになりますよね。調べなけりゃ、「私はず~っと病院行ったことはなかった。健康だった!」って。
ただ知らないだけで、老化がず~っと続いてるんです。みんなそうなんです。みんな老化してきてどっかで使い物にならなくなってくるんです。何人かの、やっぱりちゃんと「この人ちゃんと生きてるなぁ。」って人は、教科書通りですよね。ちゃんといつかはこうなってくんた、そっから逆算して生きてますよね。そういう人たちはなんか全然辛そうじゃないですよね。やっぱりちゃんと生きてる人は辛そうじゃないです。死ぬわけないと思ってた、がんになるわけないと思ってたって人はやっぱりその時は辛そうです。

さあ大変です。なんと市街地、50じゃ低いかな、100、500の高度をでっかい旅客機が飛んでます。やばいですよね。
そうですよね。落ちる寸前ですよね。遊んでるわけないですよね。そんな旅客機がそんな低いところを飛んでるのは、落ちるでしょう。では、問題です。2択です。どうしてそんな低い高度を飛んでるんでしょうか?

① 燃料切れ
② 機体の老朽化による故障

今、テロってのがあるけど、抜かしましょう。
①だと思う人。②だと思う人。
ありがとうございます。できレースです。挙げさせてだけです。申し訳ない。
燃料切れで飛行機が墜落ってないですよね。機長は優秀です。燃料切れなんて無いです。燃料切れで堕ちることなんてないです。そんな、ボロい、ヘボな機長はいないです。

じゃ、次の問題です。そんな高度が低くなる。50mじゃちょっと遅すぎるけど、500m、1,000mでいいや。だんだんだんだん頑張って飛んできたけれど、機体の老朽化によって高度が落ちてきた。飛んでるから元気。いや、飛んでるから、みんな生きてるからって元気じゃないですよ。飛んでたって高度があるんです。
僕も若かった頃高度高かったけど、今、随分高度落ちて来ました。みんな元気そうだけど、この辺飛んでる人もいますよね。しょうがない。必ずいつかはその高度をみんな通らなきゃいけないんです。そんな時、機長はどうしますか?

① 機長の取るべき判断は、あきらめずに最後まで頑張るのが機長の務めである。
② 安全に着陸を目指すのが機長の務めである。

2拓です。①の人?①の人?①の人?勇気をもって挙げましょう。
②の人?えー!日本では認められてませんよ。残念でした。日本では認められてません。
知ってますよね。出来るだけ頑張らなきゃいけない。そう、安全な着陸は日本では認められてません。自分では。
自分は実はみんな②、自分の家族には①、日本ではそういうことになってます。なんとなくわかるでしょう。言われたけど、もう一回言いますよ。自分の一番大事な人が機長で、あなたが管制塔から指令を送るとしたら、もしかしたら、まあいいや、あなたがチーフアシスタント、長年一緒に飛んできた副操縦士。いやあ、スチュワーデス。機長が「降りるぞ!」って言った時に、あぁ、じゃ機長が「高度が低くなってきた。」どういう風に機長に頼みます?言います?

① 機長、あきらめずに最後まで頑張って下さい
② 嫌だけど、私は嫌だけど、でも降りていいですよ。降りるんだったら、降りて下さい。

①の人?ふふふ。
②の人?はい、一応挙げてもらっただけです。
まぁ、実際はみんな、実際その場になったら①になります。なんとなくわかりますよね。自分では②、家族には①。どうしてか?これから僕の気が付いたことを話しますから汲み取って下さい。
着陸はいいですよ。みんな高度が落ちたら危ないって言いますけど、高度がちゃんと落としとけば、ちゃんと上手にやせとけば、緊急事態無いですよね。グライダー、見て下さい。あんな細くて軽くてガソリン積んでなくて、エンジンも積んでないから、すーっと降りますよね。
墜落は頑張って頑張って頑張って、墜落は皆さんはそれしか知らない。これが辛いものだと思ってる。だから頑張る。でも絶対同じです。辛いです。
着陸したらすぐ降りちゃうんじゃないか?いや、僕は、ごめんなさい、手術バリバリやってました。手術したその次の日に亡くなったこともありました。抗がん剤治療もばりばりやってました。群馬大学の医学部付属病院で外来化学療法室、15年前に僕立ち上げました。そのくらい化学療法やってた時期もあります。
今は、「降りていいよー」っての手伝ってます。「降りたい。」って言うのを見守る感じかな。家族に見守らせる。「いいのいいの、燃料入れなくて。」「あきらめるから短くなっちゃう。」とみんな思ってるけどそうでもないです。いや、少なくても辛くないからね。辛くないから飛んでる時間は安泰です。

さぁ、元に戻ります。
では、飛行機の場合。ごめんなさいね、飛行機だか、人間だか、よく解らなくなっちゃったよ。安全に着陸するにはどうしたらいい。飛行機ですよ。飛行機、飛行機。知ってますよね。安全な場所を探しますよね。
多分ここだったら、米原の上空は絶対飛びませんよね。安全な場所がありますからね。琵琶湖とか言うんだっけ。琵琶湖の上を飛びますよね。で、余裕があれば、機体を軽くするために余分な荷物は捨てますよね。もちろんガソリンはぎりぎりのところまで減らします。捨てちゃいます。着陸する前に。危ないから。
人間もおんなじです。食えないと死んじゃうんじゃないんです。死んじゃうから食わなくなってくるんです。軽い方が楽なんです。食っても食っても多分辛くなっちゃうんです。点滴入れてもそうなんです。栄養がないから死んじゃうんじゃないんです。
飛行機ってのはガソリンがないから堕ちちゃうんじゃあなくて、ぼろいから落ちちゃうんです。人間も、食わないから死んじゃうんじゃないんです。死んじゃうから食わなくなってくるんです。そっから栄養入れたら辛くなく頑張れるか。いや、辛いです。
でもいいんです。頑張りたいんだったら頑張ればいい。機長が「頑張る!」って言ったら、それ、機長が正解です。
僕らも機長に話をした上で、機長が頑張るって言った場合は点滴します。点滴しないわけじゃない。点滴します。僕がいいと思ったことが全てじゃなくて、患者さんが、機長の命令は絶対聞きます。

また、話は元に戻ります。
この人は、尿管ステントが詰まったみたいですね。ちょっと医療者向け。

(ビデオ)
「そう、そう思った?とにかく何でも先先で。」
「うん、そうだね。」
「で、元気だったら、萬田の野郎、脅かしやがってって笑って、向こう向いて笑えばいいんだから。」
「まだ、こんなに元気なのに。」
「あんなひどいこと言って!って。そう、それでいいんです。そうなることを願って。だけどやるべきことはちゃんとやって下さい。」
「そうですよねぇ。本当に。」
「ナースが、またちょくちょく電話しますから、毎日来るようになるべくしますからね。」
「はい。」
「じゃ僕はチャンスがないから。要するに明日あなたと話せないかもしれないから、今日さよなら言っときます。毎日さよなら言いますけどね。もしものために、今日言っときます。」
「うん、そうだね。さよなら。」
「手が冷たくてごめんなさい。」
「ううん。」
「本当、ありがとうございます。もう、ねぇ、ちょっとの間だけ、っていうか、もっともっと先に、だけど萬田先生に早く会えてたらなぁなんて(涙)思ったけど。うれしく思います。ありがとうございました。先生に来ていただいて良かった。今日だってこの話聞かなかったら、明日明後日のことなんてなかったでしょう。良かった。ありがとうございます。」
「さよなら。」
「さようなら。」

(ビデオ)
「やったね。」
「やったね。さすがだね。ありがとうございます。」
「さすがって、僕は何もしてないじゃない。書き込むだけ。」
「ははは、先生の一言。」
「僕は良くなりますっていう話をしたんじゃないんだよ。なんでだろうね。」
「悪くなりますって話が」
「なんでそうなるんだろうね。」
「孫や娘にね、連れ合いまで(みんな来て)一席食ったんだよ。印籠を渡したんだよ。」
「それがよかったんでしょう。」
「うん。そしたら楽になったんだよ。」
「先生、そのタイミングって言うのはね、私ね、萬田先生でもね、小笠原先生でもね、今度みえた時にね、私は一体ね、いつ頃まで生きられるのかね、聞こうと思ってたところだったんです。(笑)そしたら先生がお見えになられたんで、やっぱりそうだったのかって思ったら、あぁじゃあもうね少ないんだから、今日は今日、明日は明日。もうあの時ああだったら、今こんなことなかったのにとかね悔やんでたんですよ。いつもいつも。入院してたらね、そんなのがずっと続いてたのがなんかもうぱっと明るくなっちゃったって言うか、吹っ切れたというかね、あぁ、もうねそんな時間がないんだって。もう前のことなんかよりね、今日は今日で、明日は明日だって。だからね、私ね、本当にね、もう朝ね歯を磨きながらね、私は幸せだなぁと思います。(笑)本当に。すっごく私ね、あぁこれで安心してね、「いっぽ」から一番近い感じじゃない。だからね、私も幸せなんだなあって思って。ほんとありがとうございます。もう、感謝の一言で。」
「ははは」

この人は、「幸せだぁ、幸せだぁ。」って言いながら亡くなっていきました。
亡くなった時、「先生、見てたんですけど、どこで呼吸が止まったかわかんなかったんですけど、止まってるんですよね。」そんな感じです。本当に穏やかでした。
どうして幸せか?
一つこの人12月の末におしっこが出なくなった。ま、このまま出なかったら腎不全で尿管ステントって、難しいけどちょっと医療者向けだけに話しますけど尿管ステントが入ってて、どうやらそれが詰まったんじゃないかと思いました。だからまた開通するから、開通すればまあ大丈夫です。でもまぁ時間の問題かもしれない。他にはいっぱいがんがあるから。開通しなかったら、まぁそのままおしっこが出なかったら腎不全で亡くなります。今元気そうだけれど数日したら急に意識無くなるかもしれません。
どうします?治療法は入院、病院に行ってこういうのとかこういうのありますって言ったら、「私はもういいの。死んだら死んだでいい。生き残ったらそれでいい。」って言った。
普通、でもそこでそれが許されることはほとんど無いです。どうしてか。娘二人と旦那が、「可能性があるんだったら、治療するべきだ!」って絶対言います。なんとここは娘と旦那が「いいよ。」っていってくれました。「お母さんがそう言うんだったら。」そりゃあ幸せですよね。自分の意見が通ったんだから。
そこでまず第一段階の幸せです。
じゃ、そこで僕は、「入院しないんだったら入院しないでいいよ。いいんだよ。じゃ、その代わり数日したら、お母さんスッといなくなっちゃうかもしれない。どうします?親孝行しました?」僕、親孝行って、みんな自分のしてもらったことを全部返すことだと思ってる。そんなの無理ですよね。
何年、親孝行って介護したって親孝行完成しません。僕、してもらったことは流せばいいんだと思います。僕は、なんとなく僕の知ってる親孝行は「お母さん、生んでもらって、育ててもらってありがとうございました。私は幸せです。」なんかそんな事だろう。一言だろうって思うんです。人生最大のプレゼント、「あぁ、生きてて良かった!」って思える一番は、「金がもうかって良かった!」って金持ったまんま、「誰にも渡さないぞ!」って棺に入る人もいますけど、たいていは、ね、「人生良かった!」ってのはその辺になってくると思うんだ。
でもみんな、今お母さんは元気だから、恥ずかしくってそんなことは言わない、いや、今元気だからずっと元気に違いない。で、必ず急になります。
急になったら、そこで言ったら、死を認めてるみたいで可哀そう。という理由で人生最大のプレゼントは日本ではもらえないことになってます。骨になってからだともらえます。一方的に。だから辛いんじゃないですか?
もらってる人達はね、すごい幸せそうですよ。「あぁ、生きてて良かった!」って。そう、僕必ずこの話します。昔はね、言うと1割ぐらいの人が「お母さん、ありがとう。」って言えた。今は5割ぐらい言えます。
でも5割ぐらいは言えないです。そんなこと言ったら可哀そう。やっぱり。もしくは、「私は泣かないと決めたから。」なんかそんな理由が多いです。「泣かないと決めたから。」僕から言わせると、「お母さんにはプレゼントはあげない。骨になってからあげる。」それがやっぱり死ぬ時辛い理由かなと思います。
だって幸せそうな人いっぱいいるんだもん。もれなく、ありがとうが言えてる家族が飛び交ってる時は幸せそうですし、辛くないし、僕は出番ねぇし、「亡くなる時も、先生、呼吸がいつ止まったのか解りませんでした。」そんな感じでした。
そう、ここは娘が「お母さん、ありがとう。大好きだよ!」って「今までありがとうね!」ってもう来る毎に言ってくれたから、もうルンルンしちゃってルンルンしちゃってこれ以降はすごい幸せそうでした。
でもある問題点、この人2月の半ばに亡くなったんだけど、娘たちもネタが尽きて来ました。「お母さん、ありがとう、ありがとう。」って毎回言うのも。だけど娘たち、ここはすごかったですね。亡くなる3日前に強烈な薬が投与されました。プレゼントがさらに。
これは効きましたね。こんな薬投与されて辛いなんて言う人はいません。
「先生、辛くないようにお願いします。」ってよく言うけど、僕必ず返します。「それはあなた達の仕事でしょ。」って。
痛くないように、苦しくないようにはできるけど、辛くないようには心の問題です。皆さんがしてあげて下さい。「生きてて良かった!」って思わせてあげて下さい。
僕の知ってる薬はこれと、最大の薬はこれと生前葬です。
やっぱり死んでから「あの人は良かった!」って言うんじゃなくて、生きてるうちに「お父さん、ありがとう!」なんて言ってみんなで盛り上がって、みんなで言ってもらってる人たちはそりゃあそりゃあ幸せそうです。
家族の中で「ありがとうね。」が飛び交ってる家庭は、僕は出番ないです。ナースが行って、生活の世話をしてあげれば大丈夫です。薬も必要ないですあんまり。
そう、さっきも言ったように、必ず別れは急に来ます。事故、震災、天災、必ず急ですよね。多分ほとんどあなたの大事な人との別れは急に来るんです。いや、がんはゆっくりなんですけどね、それでもみんな「急に!」って言います。いや、今まで、さっきまで元気だったから、ずっと元気だと思ってた、という理由で。
そう、恩師、親友、じいちゃん、ばあちゃん、連れ合い、息子、孫、大事な人に、「あなたが大事だよ。」って伝えたかったら、100%伝えたかったら僕は今日だと思います。
明日にしたら、多分それは明日、明後日、しあさってってなって、その時が来たらってなります。その時が来たら、伝えられる確率は数パーセントですよね。
たまたま俺がいて、「今言わねえと言えねえぞ!」って脅して、まあそれでも5割ぐらいしか言えないですけどね。大事な人に、「大事だよ。」って伝える。それは皆さんが決めることです。僕は知ってる範囲では、100%伝えたかったら、今日。今日以外にしたら、数パーセント。100%か数パーセントかの報告、報告じゃない、法則だ。
3日前にお父さんが帰って来ました。病院から。そして僕は今の話をこの二人にしました。
「いくら介護したって駄目だよ。いっぱい、お父さんありがとう、大好きだよ、ありがとうって伝えましょう。」って。そして、初日に僕は1回行って、後はナースが診て、3日後に亡くなった後に呼ばれました。
「息を引き取りました。」1時間後に伺って、「どうだった?」って聞いたら、「いっぱい話が出来ました。」って。「こんな話が出来ました!」ってしてくれました。
いっぱい話してくれたんで、僕も「あぁ、良かった!」って思って、そう、いっぱい話をしてくれた、話が上手だったんで、全部話を聞いた、二人が聞いた話を全部聞いた後に、もう一回iPhoneかざして、今の話、すみません、もう一回最初からお願いしますって撮ったのがこの動画です。

(ビデオ)
「どうでした?3日間。」
「そうですね、自分はずっと親に親孝行できなかったんですけど、それで言いたいことも言えなかったんです。それで父とこうやって自宅でこうやって診るって言うことにあたって、父は本当に家に帰りたがってて、本当にすんなり家に来れて、それでいい先生にも巡り合えて、いい看護師さんにも巡り合えて、お父さんは口下手なんですけれども、自分たちに言いたいことも言ってくれて、僕も言いたいこと全部言いました、本当に。今までそんな事言えませんでした。でも、なんだろうな、言いたいこと全部言って、お父さんもそれについて、全部そうだよ、そうだよって。俺、会話、心でしたんで、お母さんもそう。うちのお兄ちゃんもみんなここで親と会話で来て、最後にお父さんが亡くなる時も、あまり苦しむことなく、言いたいことも言えたので、「亡くなっていいよ、お父さん今までありがとうね。」っていう。「死なないで、死なないで」とかっていう別れ方じゃなくて、本当に「ありがとね」って。お父さんその時に涙流してたんですけど、幸せそうな感じで、亡くなった時には、自分は本当にそれが本当の親孝行だなって思いましたね。それで、自分も言いたいことが言えなければ、多分ぼろ泣きだと思います。でも、言いたいことも言えましたし、最期まで笑って。こんな、お父さんが亡くなって本当は悲しいはずなんですけど、うれしくも「あぁよかった、お父さん、今天国で俺たちのこと見てるだろうな。」って言うそういう気持ちです。これは、やっぱり家で診れたことが自分にとって幸せだし、家族にとっても幸せだし、看護師さん、いい看護師さんにも巡り合えて、本当に素晴らしいことだと思います。自分も、人生の中で、こんな感動することは今までなかったので、なんだろうな、なんだろうな、お父さん、最後まで俺に教えてくれました。いろんなことを。で、こういう素晴らしいのをやっぱりもっと皆さんにも知ってもらいたいって言うのも変ですけど。はい、本当に、先生に。ありがとうございました。すいません。」
「奥さん、どう?」
「私も、それがあるとちょっと…。なんですけど。」
「話できたんでしょ、お母さんも」
「まぁそうね、がん宣告受けて…」
「愛してるって言えた?」
「はい。私が言うより、「お父さん、言葉は?何か言いたいことはありますか?」って言ったら「ありがとう。大好きだよ。」って、それで私もその時に「お父さん、またね、私と一緒に来世はね過ごしましょうね。」と「また多分選ぶよね。」と「うん」って言うから。」
「言わせたんだ。」
「そうですね。ほんとにね。」
「言ってくれたんだ。」
「本当にもうちょっと診たかったんですけど、ほんと1か月ぐらいね、本当に診たかったんです。息子も。本当に、もっともっと面倒見たかった。だけど、本当に「いっぽ」の先生が、萬田先生が「言いたいことは、本当に腹を割って話すと違うよ」ってことで。ねぇ、ほんとにそれがあったお蔭で、まぁ、主人とも子ども達とも本音でお別れが出来ました。それで今は本当に幸せです。確かに主人が亡くなることは寂しい。悲しい。ことなんですけれども、来世があります。ほんとにね、またこの家族構成はちょっと違ってるかもしれないけれども、この子が女の子になったり、ねぇ、私が男で主人が女かもしれない、だけどお互いまた惹かれて会って結婚するでしょうと。主人と約束しました。以上です。ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」

僕らは先ほども言ったように「看取り」って言うのは亡くなった後に行って、「ご臨終です」ってことは、個人的には僕は医者2年目からは、瞳孔を見たり、心電図を見たり、「ご臨終です。」というのはしてないです。医者5年目ぐらいからもう心電図も付けてないです。なんか、見張ってるみたいで可哀そうだから。
お別れができた。ありがとうってちゃんと言えてる家族の場合はこんな雰囲気です、亡くなった時。3日で亡くなっちゃいましたけど。
因みに僕ら、どんな状態でも退院したいっていう本人と家族がいたら連れて帰ります。2回ありました。家にたどり着くまでに亡くなっちゃったことが。それでも、どんな状態でも家に連れて帰ります。
どうしてか?喜ばれるから。絶対喜ばれるんで。これじゃ無理ですって言ったこともない。どんな状態でも。もう病院は「こんな状態じゃ危ない!」って言うとけどね、でも、時々最近だんだん増えてきました。
すんごい悪い状態でも看護師と医師が一緒になって送り出してくれたり。そう、うれしいですよね。みんなで協力して死んじゃいそうな人を家に帰す。最初は僕らが泥棒みたいにこそこそって連れ出してたんだけど、反対されてね。今はだんだんみんな解ってくれたらしくて一緒に「頑張れ!!」ってみたいな感じで。「よおし、任しとけ!」みたいな感じで。「何とか連れて帰るから頼んだぞ!」みたいな感じが楽しいです。

(ビデオ)
「「いっぽ」の小笠原先生、スタッフの皆さん、長い間ありがとうございました。ピース。」
「ありがとう。」
「いやどうも、お世話になりました。」
「じゃ、行ってらっしゃい。」
「行きます。」

もう血圧も測れません。サキュレーションもモニターも酸素飽和濃度も測れません。10リットルいってます。体は多分採血なんて、しないからわかんないけど。したらボロボロでしょうね。絶対命は救えません。
だけど心は亡くなっちゃう前でもこんなにしてあげられることができるんですよね。それ、医療じゃないですよね。僕らじゃないです。家族が「生きてて良かった!」って思わせてあげるとこんなになっちゃうことだってあります。「行ってきまーす!」って本当に行っちゃいました。まぁいいでしょう、これで。

最後の患者さん。21才。これは19歳の時のホストの時の格好になってる写真だって。もう、やんちゃでやんちゃで、ママから武勇伝さんざん聞きました。
警察沙汰、暴力沙汰、バイク沙汰、迷惑。バイクに乗ってたらおしりにしこりが、違和感があって、しこりが。腫瘍が。取ってみたら悪性腫瘍。すぐ再診、再発、再手術。仙骨の腫瘍だった。
度重なる手術でもう化膿しててそれが敗血症ショックになって、1回心臓止まったらしいですね。でも若かったんですか、治療が頑張ったのか、蘇って帰って来ました。どうやらその時に遺書を残してたみたいです。そして僕らと出会って退院して自宅で亡くなりました。
亡くなった時は肺転移が悪化してって上大静脈症候群になって、呼吸苦でした。苦しそうでした。でもその苦しい中にちゃんと友達にメール打って、ママにもメールで遺書を残してました。
この遺書って、みんな自分のことで精一杯なのに家族のことを考えられる立派な親父が遺していくもんだと思ってました。いや、僕らの患者さん、遺してる人多いです。かなりみんな遺してます、家族に。でもこんな若い子が、こんなやんちゃな子が、いやぁ、かっこ良かったですね。だから、紹介させて下さい。

21才。彼の状態は、度重なる仙骨部の手術でもうお尻の骨が見えてて、金属も見えてました。
骨削って金属に置き換えて、その金属がうまく働いてないんでしょうね。骨盤骨骨折の状態です。
下半身は麻痺してるんだけどその麻痺してる状態で、足がちょっとでも動くとビクンとして骨盤の骨に響いて痛いです。骨折の状態で動かしたら痛いですよね。可哀そうに、動かない足なのに、それを動かすと痛い。可哀そうな状態です。もちろんおしっこもうんちも自分の意志じゃ感じません。さらにその傷が治らないから傷を治さないと敗血症になっちゃう。
毎日、半年以上39度、40度の熱が毎日出てるんですけど。でも、その傷が原因だと考えたのかな、おかしいなと思ったんだけど消毒が必要だって。せーの、せってひっくり返して毎日消毒してました。
「いてぇー!この野郎、馬鹿野郎、何すんだ、やめろー!!あぁー」って毎日叫んでたみたいです。
だから医療スタッフは敵でした。特に男何人ががりでやってたんで、男性看護師が結構敵だったみたいですね。
あんまり騒ぐんで、僕紹介される時に「精神異常者なんです。」って紹介されました。全然精神異常者じゃなかったですけども。
MRSAがあって、39度40度の熱が毎日半年以上出て、抗生剤が2剤出て、IVHで生きてて、飯は食えなくて、局所再発してて、骨盤骨骨折の状態で、下半身麻痺で、肺にも転移があって。何とかこの施設を出たいっていって、本人とそのママは頑張ってました。ママは、本当、50施設ぐらい当たってました。だけど、無理ですよね。もちろん手伝ってももらえませんでした。「無理です。」って言われて。そして、僕らのところに電話がかかって来ました。
「すみません、無理は承知で話だけでも聞いてください。」
「え?え?話だけでもって、いつも話聞きに行くんだけど。」
「いや、断られたんですけど。」
「いや、断ってないですけど。」
断られたみたいです。「いっぽ」さんはダメです。無理です、とか。どう言われたのか知らないですけど。僕らのところに話は来てません。僕らはどんな状態でも帰します。でも、「直してください。」って言ったら帰しません。「病院で頑張って下さい。」って言います。「何でもいいから、とにかく帰りたいんです。」って言えば、じゃぁ、僕らの出番です。話聞きに行きました。
「希望は?」本人の希望は、「友達に会いたいんです。」
面会謝絶だったんですよね。
「タバコが吸いたいんです。」
「ママのご飯だったら食べられると思うんです。」
「夜遅くまでテレビを見たいんです。」
「バーベキュー大会がしたいんです。」肉なら食えるの?「いや、友達とのお別れ会がしたいんです。」
「せんせい、最期は苦しく…」あぁ、最期まで考えてる。
「いやいや先生、1日でもいいんです。家に帰りたいんです。ただしその1日の場合、バーベキュー大会が。」

なるほど、そういう訳ね。友達に会いたいのね。やんちゃな仲間とお別れ会したいのね。
そんな願い叶えられるじゃん。直してくれって言ってるんじゃないもん。この願いね、OK。ただちょっと待ってくれ、預からせてくれ。ちょっと1時間以上かかる遠いところだったんで、毎日6時間、6人でそんな遠いところまで行ったら今診てる患者さんが診れなくなっちゃう。ちょっとこの話、預からせてくれ、何とかするから。持ち帰りました。
「おい、どうする?こんな子がいるんだけど。」すぐ案が見つかりました。
「うん、「いっぽ」の近くの施設に退院させようよ。」
近くだったら毎日夜行けばいいんだからいくらだって診れるから。
「あ、そっか。簡単だ。それで行こう。」
話したらもちろん「お願いします!!」って、泣いて喜ばれた。すぐその次の日に施設に退院させました。
そして、毎日診ました。「どうしよう。どうやって家に帰そう。こんなに痛くて。」まず、傷治す必要ないんだから、直らないんだし、治す必要ないんだし、週2回でいいってことにしました。週2回で悪化しねえだろ。
後は、IVH引っこ抜きました。IVH感染じゃないか。お尻の感染で敗血症っておかしいなぁ。単なるカテ熱じゃない。でも、俺、「抜こう!」って言ったら、「これ、いつまで入れてたら駄目だよ。」本人が1日考えて、「先生、抜いて下さい。」抜こうと思ったけど、待てよ、これ抜いたら食べられないし、抗生剤入れられねえし、あぁ、すぐ死んじゃうんだなって。ちょっと、躊躇した。
本人が「先生、これ入れてる間は、何も話が進まねぇって言っただろ。抜いてくれ!」って、ケツ押されて、「よし、抜くぞ!!」って抜いたら、やっぱりカテ熱だった。良かった。熱がぱあっと下がって、半年以上飯が食えなかったのが飯が食えるようになって、「わぁ、生きる力ってすげぇなぁ」って思って、消毒はでもしなきゃいけない。足の角度は開いたままで、みんなで持ち上げて、骨盤の角度が変わんなきゃ痛くないんだ。
いろんなギブスを作りました。ビーズクッションでギブスを作ったり、石膏で作ったり、発泡スチロールで作ったり、でも最終的に選んだのは見えないギブス。要するに、足の角度が変わらないようにみんなでゆっくり持ち上げて、ゆっくり180度回転して、ゆっくり、マジックのように。
「いてぇ!」って言ったらそれは骨盤の角度がどこか変わったこと、「いてぇ!」って言わせないように、とにかく角度を変えないようにこうやって、6人がかりで練習しました。「いてぇ!」って言わせなくなったら、今度は5人にして、4人にして、4人で出来るようになったら、地元の訪問看護師さん一人と地元のヘルパーさん二人、来てくれました。で、トレーニングしました。あと、ママの4人で。4本足じゃねぇ、2本足だ。
で、見事できるようになってモルヒネもじゃんじゃん使って、「いてぇ!」って言わせないようにして。ちょうど1か月でした。帰る時の様子です。

(ビデオ)
「もっと自由があるね。」
「ありがとうございます。」

家に帰り、1か月後にバーベキュー大会を設定しました。ちょっと肺の様子がおかしかったんで、持つかなと思った。でも、本人が決めたこと。でも案の定、状態がだんだん悪くなってきて、バーベキュー大会予定日の前日ナースから電話がかかって来ました。
「声が出ない、ダメかもしれない。」俺は1か月以上、2か月間か、暴走族の話、ず-っと聞いてたんで、家に暴走族が集まる、ワワンワンワンワン、ワワンワンワンワンっての、ようやく見れると思って楽しみに行ってみました。
当日はやっぱり元気でした。「おおい、ちょっと来い!」なんだ、でっかい声出てるじゃねぇか。暴走族は1台も無かったです。暴走族の時代に生きてたのは本人だけで、みんなそっから1年半ぐらい経ってた。みんな二十歳を超えて社会人になって、みんな車の生活になってました。残念でした。

(ビデオ)
「お茶で。」
「うん、お茶で。」
「すごいことになってる。」
「おおい!」
(大勢で、わいわい)
「うん、こんなにいっぱいいるから。」

この倍くらいいました。この半分くらい、このくらいの人数が部屋で順番に形見分けしてました。
「おれ、これがいいけど、いいか?」何て言われてたかな、「これ、いいか。」なんて言って、形見分けしてました。
それだけじゃないです、奴ら。「自分が死んだら、この衣装にしてくれ、あれ持って来い、この洋服持って来い。」ってみんなに持って来させて「バックルの手の角度はこういう風にしてくれ。」って。「ここに腕時計、こっち向きにしておいてくれ、こっちの手にもなんとかをしてくれ。」って。「いや、それは良くない、こっちにした方がいいぞ。」って、仲間もまだ二十歳なのに、死に装束の格好を、負けじと、「いや、こっちの方がいいぞ。」なんて、やってました。
実際その1週間後亡くなりました。ちゃんと仲間たちが、その言われた格好に着替えさせてました。
なんかね、遺体に触るなんて、なかなか怖くてできないと思うんだけど、できない人もいるけど、ちゃんと体拭いて着替えさせてました。約束のかっこいい服に。あっという間でした。
僕らは、ミッション成功です。バーべキュー大会を開くこと。家に帰ること。痛くないようにすること。願いは全部叶えました。胸を張って、『大成功』です。

ここに出て来た人たちは、自分の本当の状態をきちんと知って、自分のシナリオをちゃんと書いて、演じた人たちです。
「本当のこと言ったら可哀そうだから言わないで下さい。」
本当のこと言わないと、シナリオ書けません。いや、本当のことって、余命は本当のことじゃないですからね。医者の勝手な憶測ですから、本当のことではない。
本人に、シナリオ書いてもらって、演じてもらって、主演は本人、上演は家族。僕らはシナリオ書きません。舞台係でいいんです。人生の最終章、ちゃんとシナリオ本人に書いてもらうときちんと幕が閉まって拍手で終わるんです。結構ハッピーエンドが多いんです。「お父さんらしいね。」「お母さん、さすがだねぇ。」って。
人生の最終章を支える、すげぇやりがいがあって、感謝されて、楽しい、いい仕事です。仲間には大変だと思われてるけど、ごめんなさい、僕365日お酒飲んでます。呼ばれるのは看取りの時だけ。緊急で呼ばれることはないです。みんな、着陸だから。だから、緊急で呼ばれることはないから、常にお酒飲んで、呼ばれたらタクシーで、夜、看取りに行きます。
酒臭くて、タクシーで行ったら喜ばれます。「あ、先生、お酒飲んでるのに来てくれたんですか。」そんくらいの方がいいみたい。外科医の時よりは、体も全然辛くないです。外科医の時は大変だったな。でもこれは内緒だから誰にも言わないで下さい。萬田先生があんなこと言ってたなんて、くれぐれも外で言わないようにして下さい。それが最後の言葉です。


司会
萬田先生、ありがとうございました。貴重なお話、また映像も見せていただき、本当にありがとうございました。それでは、もう一度萬田先生に拍手を皆さんで、どうもありがとうございました。
萬田先生から、著書の紹介を頂きました。題は、「世界一楽ながん治療」という本です。もう一度。「世界一楽ながん治療」という本です。どうも先生、ありがとうございました。